「ばあば」おばあちゃんを紹介します。
子どもたち・夫と来て、時間がかかりましたが、ようやく、家族紹介最後となりました。
今回は、私の母・ばあば(75歳)のご紹介です(2020年9月現在)。
2011年から、韓国で一緒に暮らしています。
母の場合は「訪問ビザ(F-1)」
母は「訪問ビザ」通称「家族ビザ」と呼ばれるビザで韓国に滞在しています。
ビザの種類としては「訪問ビザ」(F-1)に当たります。
※最初は「F-6」でしたが、数年前からビザについて数点改定が行われました。
今は結婚移住者が「F-6」に当たります(2018年12月26日現在)
滞在期間は基本1年間の為、毎年更新(延長)しています。
言葉について
母は日本語で子どもたちに話します。
(私は韓国語で子どもたちと話します)
子どもたちにはまだきちんと日本語を教えてはいませんが、
毎日家の中で母と私の会話を聞き、
母が子どもたちに話しかける日本語を聞いている為、
母の話す長崎弁(福岡弁寄り)をほぼ理解しています。
母がいてくれるおかげで、子どもたちは他の子より日本語会話を多く聞く環境にあり、耳はずいぶん日本語に慣れているようです。
コロナ禍で家で過ごす事が多くなってきたので、
最近は、ばあばによる日本語教室が行われています。
子どもたち、先日、日本語の絵本を1冊読んでくれました。
子どもたちの母の呼び方
子どもたちには「ばあば」と呼ばせています。
(そろそろ「おばあちゃん」にステップアップさせたいのですが)
母の性格と韓国生活
よく、韓国在住の日本人の方に「お母さま、韓国で大丈夫ですか?」と聞かれますが、
母は元々私より気が強くはっきりしているので、
むしろ私より韓国が合う部分が多いです。
とは言え、日本人の中でも綺麗好きなほうで、また道徳的な観点が強い人なので、
清潔かどうかという部分や、マナーの面に関しては、
韓国で合わない部分が多いのではないかと感じます。
母と夫
夫にしてみればマスオさん的な立ち位置になってしまうとは思いますが、
母は、長年 日本の大手企業で働いてきたので、男性社会や仕事について
私より遥かに理解があり(恐らく義両親より)、
また生活面だけでなく経済面でも私たち夫婦に多くの援助をしてくれているので、
そのあたりは夫も私以上に自身の良き理解者として感じている部分も多いのではないかと思います。
母が著した本「恵美と一緒に」
実は、私はもともと姉がいましたが、
1996年、私が大学生の頃に姉は亡くなりました。
それから長い間、母と私2人ずいぶん苦しい思いをして来ました。
その経験を著した本「恵美と一緒に」を2004年に出版したのですが、
2020年6月、電子書籍で再出版しております。